2009/08/15

「ティファニーで朝食を」トルーマン・カポーティ (新潮文庫)


自由奔放に生きる女性の話を作家志望の青年が語る。魅力的なキャラクターの話なので面白く読んでいたら、文庫本の途中で終わってしまった。1冊全部この話かと思っていたら、長めの短編なのだった。

ここ数年、村上春樹訳でいろいろ米文学の名作を読んだが、なんか全部同じ構図のような気がする。「グレート・ギャツビー」も「ロング・グッドバイ」もこの「ティファニー」も、社交好きで気ままに生きる友人のことを一人称の語り手が親愛の情とともにクールに見ている。友人は何かを強く求めて生き急ぐ人物で、最後には語り手の前からいなくなってしまう。アメリカ人の精神構造として普遍的にこういう形の問題があるのだろうか。

ところで、この本の出版は'58年。この前見た「12人の怒れる男」は'57年、最近愛聴しているアート・ペッパー「モダンアート」も'57年。50年前のアメリカ文化が僕に何を訴えているのだろうか。そういえば、ドラマ「官僚たちの夏」もその頃の話だ。50年ぶりの政権交代が近づいて、この50年は何だったのかという疑問が生じているのかもしれない。

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