2009/07/18

「Off The Wall」 マイケル・ジャクソン (1979)


マイケル・ジャクソンは子どもの頃、興行やレッスンのために普通の子どものように遊ぶことができなかった。父親から暴力も受けた。それで、父親を憎みピーター・パン的に子どもの世界に執着するようになった。父親に似てくるのが嫌で整形までしたようだ。そういう話を聞いているうちに、村上春樹の「1Q84」の主人公たちと似ていることに気付いた。

「1Q84」の主人公の二人はどちらも子どもの頃に親の都合で連れ回されて、他の子どもたちのように自由に遊んで過ごすことができない。そのことで深く傷付き、親と断絶する。大人になってからも精神のバランスを保つのに苦労する。

子どもは自由に遊ぶことが必要である。マイケルと「1Q84」の教訓はそういうことだろうか。では、スポーツや芸能の世界で天才少年少女としてもてはやされているような子どもたちは大丈夫なのか。子ども時代を犠牲にしてスターになることは良いことなんだろうか。そういうことを考えつつ「1Q84」の冒頭のあたりをパラパラと読み返してみると、 なんとマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」が出てきた。

「ビリー・ジーン」が発売されたのは1983年で、白人の曲しか流れないMTVで初めて流れた黒人の曲だそうだ。なるほど。僕は黒人音楽がわりと好きだが、マイケルの曲は黒人っぽくなくてあまり興味が湧かないなあと思っていたのだ。マイケルは黒人向けのソウル・ミュージックから離れることで白人中心のポップの世界で成功したというわけか。

「スリラー」の前のアルバム「オフ・ザ・ウォール」はソウルとしての評価が高いようだ。昔誰かにカセットテープを借りて聴いたような気がする。追悼の意味でCDを買って聴いてみよう。

歌い方は静かで裏声が多く、「スリラー」のようにシャウトはしない。よく聴くと、センターのメイン・ヴォーカルがちょっと遠くて、左右に振った多重録音のコーラスが近くて大きいという妙なミキシングになっている。これはマイケル独特のような気がする。

マイケルが作曲しているのは2曲だけである。いろいろな人が作曲していて、ポール・マッカートニーやデヴィッド・フォスターの曲もある。そのためにまとまりに欠ける。プロデューサーのクインシー・ジョーンズと一緒に、ソウルからポップに移行する過渡期の試行錯誤をしていたのかもしれない。2つのコードを延々と繰り返すような曲が多くて、ちょっと退屈。じっくり聴くためではなく踊るための音楽。ディスコ・ミュージックですね。

ジャケットの写真を見ると、まだ生まれつきの可愛い顔をしている。あらためて最近の風貌とのギャップを考えると痛々しい。今週はMLBのオールスターのときにオバマ大統領からサインをもらうイチローと、全英オープンでタイガー・ウッズとプレイする石川遼を見て、マイケル・ジャクソンのことを思い出した。マイケルは昔「黒人のスーパーマンがいますか? 黒いティンカーベルがいますか?」と言ったそうだが、今ならオバマもタイガーもいる。

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