2009/06/01
「1Q84 (book1,2)」 村上春樹
春樹さんの小説は消化するのに時間がかかる。大体最初に読んでから数年後、3回目に読んだときくらいに、ナルホドそういうことだったのかと納得することが多い。今回もまだ1回読んだだけだから筋が判った程度だ。
ひとついえるのは読みやすいということ。昔の長編は「僕」が語る一人称で軽くスラスラ読めたが、近年はいろいろな人称が実験的に導入されて、だんだん読みにくくなっていた。一人称で主人公の視点しか使えないと、物語世界の範囲が制限されるので、三人称に移行しようとして長年試行錯誤していたのだ。
三人称の小説には「この文章は誰が書いたものなのか?」という根本的な問題がある。一人称なら主人公が書いた手記なのだが、三人称だと神の視点になってしまい、作者が描くイメージの内側まで読者を引きずり込むのが難しい。映像でいうとカメラが主人公の眼の位置にあるか、主人公から離れた位置にあるかの違いである。
今回はとうとうほぼ完全な三人称形式になったが、かなり主人公の視点に寄り添った三人称である。ところどころ、さりげなく一人称になる。カメラは主人公の肩の後ろくらいにある。なかなかうまくいっていると思う。
そういうわけで形式的には読みやすくなったが、内容は性と暴力と精神の変容がテーマでかなり重い。今までの長編ではぼかされていたことがハッキリと書いてあったりする。現実社会に対するかなり具体的な問題提起を含んでいる。あっという間にミリオンセラーになりそうな勢いで売れているので、例によって評論家のバッシングやら何やら騒ぎが起きるに違いないが、ありがちな批判に対する反論も小説の中にちゃんと書いてある。
今までの長編はそれぞれいろいろな方向性を持っていたが、今回はその全てを統合したものになっていると思う。登場人物や設定の道具立てで過去の全ての長編とそれぞれ共通性がある。還暦で総決算という感じだろうか。でも2冊で1050頁くらいというのは「ねじまき鳥」3冊より短い。「今までで一番長い」と言っていたし、巻数表示が「Book1、Book2」で「上・下」ではないということは、まだ続きがあるのだろう。楽しみだ。
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