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2017/06/11

「たとえ世界が終わっても」 橋本治

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タイトルの「世界」は資本主義やグローバリズムのこと。なぜそういうものが終わるのかについて、ヨーロッパと日本の近代史をザックリと語っている。なかなか面白かった。

橋本治は「貿易なんて西洋人の陰謀」と言っている。日本の近代は、大砲の付いた船でやってきた西洋人に「俺のとこの商品を買え」と脅され、近代化しないと欧米に侵略されてしまうというところから始まった。そのとおりだと思う。

資本主義やグローバリズムは飽和によって終わる。そういう世界が終わるのは、陰謀の終焉でもあるから、良いことなんじゃないだろうか。

その後にくるのは、あまり儲からない、トントンで回る経済だ。

2015/12/28

「村上春樹は、むずかしい」 加藤典洋 (岩波新書)


僕は村上春樹の長編を全部3回以上読んでいるが、どう受けとめたらいいのか判らないことも多い。それで村上作品に関する評論本もたくさん読んだのだけど、ちゃんと本質を捉えているなと思えて説得力があったのは、加藤典洋の「イエローページ・村上春樹」と「村上春樹の短編を英語で読む」だけだった。

この本は新書だから、「イエローページ」や「英語で読む」に比べると分量は少ないが、そうかナルホドと頷ける内容だった。

東アジアで村上春樹の人気が高いのは知っていたが、インテリは馬鹿にしているというのは知らなかった。しかし、日本でもちょっと前までそうだったわけで、著者はそういうインテリの評価を覆そうとしてきた。この本はそこに話を絞って、村上作品そのものの評論よりも、村上作品の文学的・社会的な意義についてハッキリさせようとしている。

僕は著者の話に納得したが、個人の意識のあり方と社会のあり方が連動しているという認識の無い人にはピンと来ないかもしれない。

2015/10/15

「鈴木さんにも分かるネットの未来」 川上量生 (岩波新書)


これはなかなか面白かった。さすがにネット企業を成功させた実業家だけあって、川上量生によるネットについての説明は判りやすくて深い。ネットやITビジネスについての文章で、今までに見たなかで一番説得力があった。

特に良いと思う点は、ネット企業の経営者であるにも関わらず、ネットについてバラ色の未来を語らないことである。多くのネット・IT業界人の主張は論理ではなく宗教的な思い込みやハッタリだと批判している。そういうクールな視点で一貫しているところに好感が持てる。

著者はネットの未来について、こうなるべきだという理想やこうなってほしいという願望ではなく、こうなるだろうという予測をしている。特に、ネットによる企業活動のグローバル化が進むと、国家による徴税権や統治権との衝突が起きて、国家はネット鎖国をしようとするだろうというあたりは、なかなかハードな現実認識だ。タイトルはネットの未来だが、ネットが現実社会にこれだけ深く関わっている以上、バーチャル空間の話ではなくリアル社会の問題になってくるわけだ。

2014/04/05

「時事ネタ嫌い」 菊地成孔


菊地成孔の時事ネタの扱いは、社会的な事件を集合的無意識の表象として捉えるのが基本で、表面的な善玉悪玉的な見方ではない。そのあたりは岸田秀的ともいえるが、実際フロイトの名前も時々持ちだしている。

雑誌に連載された社会時評だが、雑誌コラムにありがちな「適当にうまいことを言って、言いっぱなし」というのではなく、世の中を深いところで捉えているし、書籍化に際して事後検証もしていて、かなり面白かった。

2012/08/26

「独立国家のつくりかた」 坂口恭平


この人は建築学科卒の建築家でもあるのだが免許は持っていないそうである。この人の建てる家は路上生活者が住んでいるような小さな家で、車輪が付いている。建築基準法によると、家というのは土地に定着しているものなので、車輪が付いていると家じゃなくて車両になる。だから建築士の免許が無くても建てられるし、固定資産税も取られない。

著者は別にみんなで路上生活者のような家に住もうといっているわけではない。この小さな家はホームセンターで資材を買ってくれば3万円でできる。では30万円、300万円掛けたらどれくらいの家ができるはずなのか。何千万円もする家というのは何なのかという問題提起である。

著者は近年原発問題にも関心を持つようになり、2011年3月3日に飯田哲也氏を呼んでインターネット番組を配信する。そこで飯田氏は福島県双葉町の原発に津波が来たら破壊されると警告し、3月12日に本当に原発が爆発した。著者は放射性物質の危険を伝えない政府は政府でないと認定のうえ、東京から実家のある熊本に移住し、そこで新政府を設立した。新政府首相官邸として借りた家に東日本からの避難者百人を自費で受け入れる。

著者の主張は現代の常識からするとかなりシュールな妄想のようにも見えるが、話を聞いてみると非常に深い思考と調査研究に基づいた考えであり、常識の方がよほどおかしいということが分かってくる。

著者は土地の所有に疑問を持っている。いきなり新政府総理を名乗る。そのあたりの考え方は僕の「世界を自分のものにする方法」に通じるものがある。

2012/08/15

「戦後史の正体」 孫崎享


戦後の大物政治家で、何かの嫌疑で失脚したり検察に捕まったりするのは、田中角栄を筆頭とする田中派の系統ばかりだという話は、数年前からネット上でよく目にするようになった。そこまでは明らかな事実だが、その理由としては「田中派の系統の政治家は、保守本流を支える検察やマスコミにやられてしまうのだ」という陰謀論的な見立てが定番だ。

この本ではそういう見立てとほぼ同じことを第二次大戦の敗戦時に遡って、詳しく分析している。吉田茂の系統である保守本流の本質は対米追随であり、対米自立・中国重視の田中派系と常に争ってきた。つまり田中派系の政治家が検察やマスコミによって潰される慣行の背後にはアメリカの圧力があるのだという。著者は外務省国際情報局長という中枢にいた人なので、陰謀論で片付けられない重みがある。

戦後の政治史にあまり興味を持っていなかったのだが、この本は面白かった。日本の政治勢力は一貫して対米追随派と対米自立派に分かれていることが説明されている。自立派の政治家を狙う検察特捜部のルーツは、日本軍の隠匿物資を探してGHQ管理下に置くための組織だそうだ。つまりそもそもアメリカの出先機関みたいなものである。最近の陸山会事件の経緯などを見ていると、占領下に作られた日本の政治の構造的な弱点が、今現在もそのままになっていることがよく分かる。

2012/08/01

「幻影からの脱出 原発危機と東大話法を越えて」 安冨歩


原発事故が起きて大変なことになったときに、役人や学者や経営者や政治家がエラそうに無責任な言葉を垂れ流していたが、彼らの多くが東大関係者であることが明らかになった。彼らに共通する欺瞞的な言葉の使い方を東大話法と名付けて分析しているのが東大教授の安冨さんである。

東大話法と聞いてすぐに僕が思い出したのは、村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の主人公の敵役である東大卒の経済学者綿谷ノボルだ。綿谷ノボルは紛れもなく東大話法の使い手である。主人公の岡田トオルは綿谷ノボルについて「彼は短い時間の間に相手を有効に叩きのめすことができた。(略)しかし注意して彼の意見を聞き、書いたものを読むと、そこには一貫性というものが欠けていることがよくわかった。彼は深い信念に裏づけされた世界観というものを持たなかった。」と語る。

綿谷ノボルは東大話法の規則1「自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する」や規則5「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」などによく当てはまるキャラクターだ。綿谷ノボルの少年時代にガリ勉を強要した父親は東大卒の高級官僚、母親は高級官僚の娘で、伯父は満州国に関わる陸軍官僚だった。つまり村上春樹は日本の官僚システムが再生産し続ける東大話法の権化みたいな人物を設定して批判的に描いているわけである。安冨教授は同じ問題を、実名と実際の発言を挙げて具体的に例証し、誰の眼にも判りやすいように分析している。

著者は田舎にカネを流すために多くの原発を作った政治構造を田中角栄主義と名付け、田中主義でもその否定の小泉主義でもない新しい政治理念を打ち立てる必要があるという。そのためには、今の世の中のどこがどうおかしいかを考えなくてはならないが、著者の考えでは「世界は発狂している」のである。これはグレゴリー・ベイトソンが言ったことで、具体的には第一次大戦を集結させるベルサイユ条約が欺瞞的であったことが始まりだという。

アメリカを中心とする戦勝国は懲罰的内容を含まない講和案でドイツに降伏を同意させたうえで、徹底的に懲罰的な講和条約を結んだ。その重い賠償に苦しんだドイツにヒトラーが出現する。ヒトラーは子どもの頃に父親から激しい虐待を受け、その復讐心を大人になってから全世界に向けた。

著者の結論は、最も大切なのは子どもの利益を最大限に考えることであるというもの。子どもは我々の社会の将来であり、我々の創造性の源である。そのとおりだと僕も思う。

その他にも日本社会の過去、現在、未来について、いろいろと新しい着眼の指摘があって面白かった。

2012/03/16

「暇と退屈の倫理学」 國分功一郎


豊かであるはずの現代社会で、我々は自分のやりたいことが分からなくて退屈してしまう。忙しいのに退屈してしまったりもする。それはなぜか、そしてどうすれば良いのかについて考えている本。分厚い哲学本だが、語り口がカジュアルなので読みやすく面白かった。

我々が退屈するようになったのは定住するようになったからだという。人類が遊動生活から定住生活に移行することによって、生活に余裕が生まれる。それは日々の活動が単調になるということでもある。なるほどそのとおりだろうと思う。

筆者はボードリヤールを引いて、消費ではなく浪費せよという。消費というのは、「この商品は良い」とい情報を買うことである。情報だからいくらでも買えて、いくら買っても満足できないから消費には終わりがない。それに対して、浪費というのはモノをちゃんと味わうことである。モノを味わえば満足が訪れるから、浪費はどこかで終わる。我々が浪費ではなく消費してしまうのは、消費し続けてもらいたい生産者の事情に従っているのである。

僕は以前「退屈を楽しめばお気楽だ」と考えた。問題の捉え方はかなり近いと思うが、筆者は退屈そのものを楽しむことについては考えていないようだった。

2011/06/27

「通貨を知れば世界が読める」 浜矩子 (PHP新書)


時々テレビでお見かけする浜先生は紫の髪の毛で不機嫌そうな表情で辛辣なコメントをしていて、痛快である。仰ることがいつもクールで大局的で面白いので、ご著書を拝読する。

最近は日本国の財政状況悪化により円が暴落するだろうといっているエコノミストも多いが、浜先生は反対で1ドルは50円くらいになるという。日本がどうあれ、ドルが基軸通貨としての役割を終えると、概ね半分くらいに価値を落とすだろうと予測する。

そういう予測にいたる前提として、金本位制とか基軸通貨について大英帝国くらいからの歴史を語る。僕はそういう経済史みたいな話にあまり興味が無かったのだが、語り口が講談風で分り易く、面白かった。

1ドルは高度成長期の360円から80円にまでなったのだから、80円が50円になっても不思議は無かろうという。僕も僭越ながらだいたい同じ意見である。そうなると、大量生産で価格競争をする輸出企業なんかは、もう無理だ。

2011/05/30

「日本中枢の崩壊」 古賀茂明


現役官僚が日本中枢の改革を訴える本。安倍政権以降の公務員制度改革を官僚がどうやって潰してきたかの暴露から、民主党の政治主導がうまくいかない理由の話が続く。だいたい報道されてきた話のとおりだが、官僚側からの視点で詳しく解説されていて興味深い。それから改革派経産官僚としての筆者の仕事の振り返りになると「官僚たちの夏」そのもので面白い。

最後に今後の日本の「起死回生の策」というのがあって、なるほどと思うようなことも書いてあるのだが、TPPに参加せよと言っていてガックリ。まあよく考えたら、みんなの党に代表されるように行政改革に熱心なのはほぼ新自由主義的な人だから別に驚くことではなかった。

著者略歴に「参議院予算委員会で仙谷由人官房長官から恫喝を受ける」と書いてあるのがおかしい。

2010/03/08

「孫が読む漱石」 夏目房之介 (新潮文庫)


漱石を大分読んだところで、孫の房之介氏の意見も聞いてみる。この人は昔週刊朝日に漫画エッセイみたいなのを書いていて、面白かった。漱石の孫といっても、祖父は著者の父親が子どものうちに亡くなっているから直に接していないし、著者が生まれたときには著作権も切れている。

漱石の色々な作品についての著者の評は僕の感想と似ていて共感するところが多かった。やはり身内としての話がとても興味深い。漱石の奥さんは悪妻という風評があったが、実は漱石の方が困った人で家族に暴力を振るったりしていた。そういう話もどこかで読んだことはあるが、身内の証言はリアルだ。著者自身の人生と漱石という存在との関わりも含めて話が立体的で面白かった。

2010/02/19

「邪悪なものの鎮め方」 内田樹


面白い。ウチダ先生も身体で考えることについて考えている人だから、いろいろ共感できる点が多い。

今現在の世界はパンドラの箱が開いたような状況なので、我々は邪悪なものとの付き合い方を考えなくてはならない。一番邪悪で扱いに困るのは「自分への呪い」である。

何かズルをしたり他人を騙したりして利益を得る人は、「自分と同じような人間」が他にいない方がより大きな利益を得るので、「自分のような人間は世の中にいない方が良い」。そういう存在であり続けていると、そのうちに「自分は世の中にいない方が良い」と思うようになってしまう。それが「自分への呪い」である。

「道徳律というのは… 世の中が「自分のような人間」ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になること… それが自分に祝福を贈るということである」 と書いてある。なるほど。そういえば、カントがそんなことを言っていると高校生の頃、同級生が教えてくれたような気がする。調べてみると「汝の意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行動せよ」だった。同じことかな?

この本は無料で公開されている著者のブログからテーマに沿う文章を抜き出してまとめたもの。なるべくそういう本は買うまいと思っているのだが、今回は面白かったのでまあよしとする。

2009/12/31

「フリー」 クリス・アンダーソン


副題は「<無料>からお金を生みだす新戦略」。ウェブを中心に無料経済はどんどん広がりつつあるのだが、何しろ無料だからその経済規模を金額で表すとゼロである。なるほど。それは小脳論的にいうと「自分のやりたいことを自分でやるのは経済活動にならない」ということである。この無料経済の広がりもデフレ要因である。

それで、その無料経済からお金を生むにはどうするかについていろいろ書いてある。一番へえと思ったのは、最近は海賊版がプロモーションとして捉えられつつあるという話。音楽をタダで配ることで有名になり、コンサートやグッズ販売で儲けるとか、偽物のカバンでブランドが有名になり、将来お金ができたら買ってくれるという発想。面白くてスイスイ読めた。

2009/11/25

「日本辺境論」 内田樹 (新潮新書)


日本はずーっと辺境として存在していたので、日本人の物の考え方は常に「世界はこうこうで、それに対して我々は…」という主体性の無い形になるという話。著者も最初に断っているように、これは新しい説ではなく養老先生や岸田秀先生も言っていることである。僕もお説に大体賛成である。

日本人は昔は中華文明に対して、明治以降は西洋文明に対して辺境人的に対応してきた。その結果、日本語には漢語とカタカナ西洋語が深く浸透している。自分の頭でモノを考えようとした日本人は必ずそのことに気付く。でも日本人の思考の基本は主体性の無い形なので、そういう認識は一般的にならなかった。

小脳論的にいうと、文字が無い古代は小脳優位で、文字を使うようになって大脳優位の時代が始まり、その仕上げの近代化が行き詰ったわけだから、これからは大脳と小脳のバランスが重要になるということになる。内田先生は武道の話もしているので、話は合う。

似たようなことを経済アナリストの藤原直哉さんが言っている。藤原さんは「起承転結」だという。中華文明に接する前の古代が「起」、中華文明の影響下にある時代が「承」、西洋に学ぶ時代が「転」で、これからはそれらを統合して「結」に至るというわけである。時代区分は藤原説の方が小脳論に近い。内田先生は古代に触れていない。

2009/07/29

「漱石文明論集」 (岩波文庫)


前半は講演の記録で、後半は評論や日記や手紙などの短い文章。読んでみると漱石先生は講演の名手である。内容は文明論というより人間論で、人間精神のあり方や芸術に関する話が多い。漱石の小説にも出てくるような内容だが、小説よりストレートで分かりやすい。語り口は控え目ながら、ユーモアもある。かなり面白い。

漱石は日本の開化=西洋化について深く考えている。日本の開化は外からやってきたもので内的必然性がないから、どうしても上滑りになる。無理をすると神経衰弱になる。実際に漱石はそうなった。西洋が強い以上、開化をやめるわけにもいかない。神経衰弱にならない程度に、なるべく内発的に開化していくしかないという。開化の問題は百年経った今でもグローバル化という名前に変わって存在し続けている。

漱石は日本人の自分が英文学を研究する意味についても悩む。自分のやりたいことが判らず悶々と悩んだ末に、「自己本位」というコンセプトを見出し自らの哲学を構築するに至る。そうやって作家になろうと決めるまでの道程を正直に語る。

この本を読み終えると、実際に講演を聴いたような気になり、漱石先生に親しみが湧いた。ところで僕は'80年に大江健三郎、'95年に村上春樹の講演を聴いたことがある。それぞれ別の友人が切符を取って誘ってくれたのだった。大江氏は難しいことを話し、退屈で寝てしまった。村上さんはサービス精神旺盛で、かなり聴衆を笑わせた。講演の雰囲気に関しては、現代日本の文豪二人のうちで漱石に近いのは村上さんの方である。

2008/08/18

「偽善エコロジー」 武田邦彦 (幻冬舎新書)


資源ゴミをリサイクルすることは本当にエコなのか。武田先生によれば、リサイクルに適しているのはアルミ缶くらいで、プラスチックや紙やガラスや金属、食物などは、リサイクルすると新品を作るよりエネルギーを消費したり、不純物や毒物が混入して危険であったりするそうである。ペットボトルやトレイは、ゴミ焼却炉で生ゴミを燃やすための燃料として一緒に燃やしてしまうのが一番良いらしい。

武田先生が調べたところでは、自治体が回収したペットボトルのうち、実際にリサイクルされているのは5%くらいで、あとは闇に消えている。問題なのは、そういう意味のないことに自治体が税金を投入して環境利権が発生していることである。

僕は昔からマジメにゴミを分別して自治体の回収に出していたが、どうやらそれは最善の行動ではないようなので、最近はスーパーに持って行くようにしている。その方が無駄な税金が使われないからだ。資源ゴミ回収の民営化である。

武田先生は日本人がいくらCO2削減努力をしても温暖化は止められないという。だから温暖化に対応した生活スタイルに変えないとしょうがない。そのうちに石油や石炭が尽きたら温暖化も止まるだろうとのことである。でも最近は「CO2は温暖化の原因ではなく結果だ」という説もあるので、化石燃料が尽きても温暖化が止まるかどうかは分からない。どちらにせよ温暖化を防ごうとするより、対応することを考えた方がいいのかもしれない。

2008/06/10

「生きるための経済学」 安冨歩 (NHKブックス)


これは非常に面白い本だった。21世紀に僕が読んだ本の中で一番の知的興奮を覚えた。著者は現代の自由主義経済社会を支える経済学を引っくり返そうとしていて、それは見事に成功していると思う。 自由主義経済の根底には「選択の自由」という価値観があるが、実はそこに問題がある。選択の自由は本当の自由ではない。そのあたりはちょっと哲学的になる。僕も昔いろいろ考えた。自由とは自らの生命力に基づく自発性に従うことである。そのとおり! この議論はポランニーの暗黙知から創発という概念に繋がっていき、コミュニケーション論になってハラスメントという問題が出てくる。著者は客観的に議論を進めるだけではなく、自分の仕事や家庭生活におけるハラスメントの問題を語る。岸田秀先生ほどではないが、かなり身を削って生み出された理論であることがわかる。 この人はかなり期待できると思ったので、他の本も読んでみた。「ハラスメントは連鎖する」(光文社新書)、「複雑さを生きる」。どれもすべて通底する話で面白かった。

2008/06/03

「お金」崩壊 青木秀和 (集英社新書)


お金というものがナニで、お金はこれからどうなるのかという問題は非常に重要だ。近いうちにお金システムは激変せざるをえないような気がする。というか、既に激変進行中ではないのか。原油暴騰なんかはその一段階としか思えない。

この本は日本と世界のお金の歴史と現状について、問題点を鋭く指摘していて勉強になった。例えば、財政投融資の財源である郵貯・簡保・年金はそれぞれ明治維新、第一次大戦、太平洋戦争という戦乱の時期に費用調達のために創設されたものだったのだ。どれも「将来への備え」という体裁を取りながら、実態はそういうものではなかったわけだ。現在、国の借金が何百兆円もあって大変なことになっているが、それは明治政府が江戸幕府から債務を引き継いだところからずーっと続いている問題であるらしい。

結局このままでは日本も世界経済もどうにもならないという話になり、エネルギーや環境問題も把握した経済システムにしないとけないという。それには賛成だが、具体的な話が全く無かったのは残念。

2008/03/10

「虫眼とアニ眼」 養老孟司・宮崎駿 (新潮文庫)


表現の世界で大成功した、手先が器用で偏屈、という共通項のあるオヤジ2人の対談。人間と自然の関係についての問題意識を共有しているので話はだいたい共振していて楽しそうである。タイトルどおり2人とも視覚の人だからイメージが豊かだ。「もののけ姫」や「千と千尋」について、作者の考えも少し分かる。

基本的には「最近の世の中は...」というグチだが、結論としてはオビに書いてあるとおり「お先真っ暗だが、だからこの世は面白い」ということ。奥田民生がアルバム「Fantastic OT9」の「カイモクブギー」という曲で「無茶だけれども、それはそれでフリーダム」と言っているのと同じだ。

宮崎駿が考える「老人の町」についてのイラスト・エッセイというのが20ページもある力作で、宮崎アニメ世界を現実化しようと妄想している。これだけ緑の多い町ならたしかに良い。

2007/11/29

「ぼちぼち結論」(中公新書) 養老孟司


中央公論連載の時評の完結篇。ホリエモンにエールを送り、中国・韓国・北朝鮮には(虫取りに)行きたくないと言い、「不都合な真実」でゴアが言っていないことについて指摘する。

最近の養老先生はだいたいいつもそうだが、この本は特に議論が暴走しがちというかほとんど自爆気味で、そこがめちゃくちゃ面白い。完全に言いたい放題で痛快だが、読んでいて大丈夫かいなと思うくらいである。しかし言っていることは本当に鋭い。

最後に書き下ろしの結論の章がある。養老先生の結論は「現代文明=アメリカ文明は石油文明で、石油が無くなったら終わる、そうなったら自分の感覚と手足に頼るしかないから、それに備えよ」ということのようだ。僕もそう考えているので、なるべく自分の感覚と手足を使うようにしたい。エネルギー消費の少ない生活でも楽しく暮らせるように意識をシフトするのが大事なのだと思う。