2006/12/11
「グレート・ギャツビー」 スコット・フィッツジェラルド
訳者村上春樹構想20年だそうだ。僕が野崎訳を読んだのも20年前だ。村上春樹が最も影響を受けた作品だというし、ロバート・B・パーカーの「愛と名誉のために」の中にも「ギャツビー」からの引用が出てきたので、これは読まないわけにいかないと思って読んだのだった。
パーカーが引用しているのは「ギャツビー」の冒頭2ページ目くらいに出てくる「人の振舞いの基盤は、堅い岩である場合もあれば、沼沢である場合もある」という文句。これはパーカーの本を訳している菊池光の訳で、野崎訳だと「人間の行為には、堅い岩に根ざした行為もあれば、ぐしゃぐしゃの湿地から生まれた行為もある」になっている。村上訳は「人の営為は堅固な岩塊の上に築かれているかもしれないし、あるいは軟弱な泥地に載っているかもしれない」である。
野崎訳と村上訳を比べると野崎訳の方が滑らかでいい思う(ただし「ぐしゃぐしゃ」はいかがなものか)。村上訳は音読みが多くてやや引っかかりを感じる。でもよく考えると「ケンコなガンカイ」は音が硬いし、「ナンジャクなデイチ」は音が軟らかい。村上さんはリズムやサウンドを重視して訳したそうなので、そのへんまで考えてのことかもしれない。
20年前に読んだときにも思ったのだが、これってそんなに素晴らしい名作? もっと短くてもいいんじゃないか、短編を膨らませ過ぎたんじゃないのかという気がする。でもその膨らみ具合がいいのかもしれない。さりげなく語ってあることが後で重要な意味を持ってくるような面白い仕掛けがいろいろあるということは今回よくわかった。
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