2006/10/31
「マインド タイム」 ベンジャミン・リベット
これはすごい。画期的な発見である。リベット先生は脳の手術を受ける患者の協力を得て脳ミソに電極を差したり皮膚を刺激したりして実験した結果、「我々の意識は現実から0.5秒遅れている」ということを明らかにしてしまったのだ。
我々が何か(音とか光とか皮膚への刺激とか)を意識するのは、その何かが起きてから0.5秒後なのである。しかし、我々はそのことに気付かず、リアルタイムの現実に接しているつもりである。そこにはトリックがあって、我々は身体が何かを感じてから0.5秒後にそれに気付くのだが、「これを意識したのは0.5秒前(つまりリアルタイム)だ」というように脳が勝手に修正しているのだそうだ。
でも0.5秒もタイムラグがあったら、スポーツや音楽はうまくいかないはずだ。たとえば100m競走のスタートが0.1秒くらいでできるのはなぜか。それは無意識の反応なのである。リベット先生もスポーツや音楽は無意識のパフォーマンスで、意識的になったらうまくいかないといっている。リベット先生は、それを芸術や科学など創造的行為のすべてに一般化したいという。
これって、まさに僕が小脳論で言っていることじゃありませんか! リベット先生は「無意識=小脳の働き」とまでは言っていないが、それ以外の話、つまり「創造には非意識的態度が大事」というところは小脳論にとって非常に強力な援軍だ。
我々の意識が感覚からの入力に対して0.5秒遅れているのと同様に、意識的に何かをしようと思うときも、その0.5秒前には脳の活動が始まっているのだそうである。我々は自分で意識的に何かを決めたつもりになっているが、実は無意識的に決めたことを0.5秒遅れで意識が追いかけているだけなのだ。面白いなあ。
この発見の意味するところは重大で、「自由意志って何?」という古来からの哲学的疑問にも直結している。だからこの本の後半もその問題に対するリベット先生の考察である。でもそのへんは小脳論にとってはあまり重要ではない。僕はもともと無意識的能力をいかに活かすかという観点で考えていて、自由意志というものを偏重していないからである。
ところで、この0.5秒の遅れは何のためにあるのだろうか。リベット先生はフロイトを引き合いに出して、経験内容が意識にとって都合が悪くないように修正されるようなことを示唆している。小脳論的に言うならば、意識的な情報処理能力というのは無意識に比べてかなり低いので、無意識的情報を意識が扱える情報に変換するのが大変で、0.5秒もかかってしまうのだと思われる。
とにかく意表を衝いた発見だが、僕の小脳論とはものすごくフィットする話である。みんなもっと無意識の自分というものについてよく考えた方がいいのだ、ということが科学的に証明されてしまったわけである。やっぱりそうだったのだ。
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