2006/06/28

「ULTRA BLUE」  宇多田ヒカル (2006)


宇多田ヒカルは優れたクリエイターだと思うのでアルバムが出たら必ず買うのだが、いつもあまり長期間聴きこむ気にはならない。それがなぜなのか考えると、やっぱり「打ち込み」であることが大きいと思う。僕にとってバンドサウンドの音楽が「食べ物」だとすると、打ち込みの音楽は「蝋でできた食品サンプル」のような感じがするのだ。食品サンプル的音楽としては良くできているので感心はするが、噛めば噛むほど味が出るようなタイプの音楽ではない。

宇多田ヒカルはシンガー&ソングライターだが、今まではプロデュース、アレンジ、プログラミングといった音作りの仕事は全て周りの大人に任せていた。このアルバムが今までと違うのは、全ての曲を自分で編曲し、キーボード演奏やプログラミングまで自分でもやっているところだ。

曲はオリジナリティとポップセンスを兼ね備えていて凄い。そういう才能は稀有である。詞の世界も「日常的でありながら詩的」という正しい姿勢を保っている。ただ、全般的に詞もサウンドも観念的でメランコリックな印象が強い。観念的というのはつまり身体感覚よりも頭で考えた価値が優先することである。それは世の中全体がそうなんだから時代の要請なのだろう。そういう世界を表現するには食品サンプル的打ち込みポップが合っている。

村上春樹や奥田民生の作品なんかだと、観念的な世界を受け止めながらその向こうに突き抜けようという意志が感じられるが、宇多田ヒカルはまだ若いので出口を探してもがいているような気がする。でも「Keep Tryin'」はちょっと突き抜けかけている名曲だ。他にもいい曲は多い。宇多田ヒカルの過去4枚のアルバムの中では一番曲の粒が揃っている。

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