2012/03/16

「暇と退屈の倫理学」 國分功一郎


豊かであるはずの現代社会で、我々は自分のやりたいことが分からなくて退屈してしまう。忙しいのに退屈してしまったりもする。それはなぜか、そしてどうすれば良いのかについて考えている本。分厚い哲学本だが、語り口がカジュアルなので読みやすく面白かった。

我々が退屈するようになったのは定住するようになったからだという。人類が遊動生活から定住生活に移行することによって、生活に余裕が生まれる。それは日々の活動が単調になるということでもある。なるほどそのとおりだろうと思う。

筆者はボードリヤールを引いて、消費ではなく浪費せよという。消費というのは、「この商品は良い」とい情報を買うことである。情報だからいくらでも買えて、いくら買っても満足できないから消費には終わりがない。それに対して、浪費というのはモノをちゃんと味わうことである。モノを味わえば満足が訪れるから、浪費はどこかで終わる。我々が浪費ではなく消費してしまうのは、消費し続けてもらいたい生産者の事情に従っているのである。

僕は以前「退屈を楽しめばお気楽だ」と考えた。問題の捉え方はかなり近いと思うが、筆者は退屈そのものを楽しむことについては考えていないようだった。

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